森巣博

森巣博のギャンブル人生

森巣博は高校卒業後、雑誌の編集者の職務についておりました。

1971年にヒッピーに憧れの念が生まれ、競輪場で儲けた金額で海外に渡ります。

一回日本に戻りますが、1975年頃にまた渡米してロンドンに渡りました。

ロンドンでギャンブルをして「常人」を目指すように試みます。

しかし、この頃の森巣博には妻と子供がいて、我が子にいじめがあったりその時のサッチャー政権に嫌気があり考えた結果、ロンドンからオーストラリアへ移り住みます。

移住した後は、大学へ行っている妻をサポートするため、家の家事をほとんどこなしていました。

そして、息子は15歳で大学に入学、19歳でケンブリッジ大学大学院に進学をして、さらにヘッジファンドにスカウトがきて現在そこで働いています。

そして今もなお、森巣博はオーストラリアでギャンブラーとして生計を立てています。

このギャンブラー生活は20年ほど続いており、カジノで年間なんと約1000万円を勝利金として収めています。

森巣博のプレイスタイル

森巣博が得意としていたカジノゲームは「パイガオ」というバカラゲームです。

そして1994年には、全豪牌九選手権者の称号を手に入れています。

バカラやパイガオはブラックジャックなどのカジノとは別物で、理論的に考えても勝ち目の見えないゲームで知られています。

長期に渡る時間と回数を重ねれば重なるほどプレイヤーの方が負けて、カジノ側が勝利を収めるというシステムになってます。

そんなカジノゲームを何十年も続けて勝利を手にしているので、森巣博はよほどのギャンブル力と運を持っている人間には間違いありません。

森巣博がギャンブル業界から称賛を浴びる理由がここにあります。

森巣博の名言

森巣博はギャンブルを通していろんな名言を残しております。

「博奕は波である。流れである。」

これは、賭けるゆえに我ありという意味が込められています。

勝利した後、すぐに撤退することがいかに重要なのかを伝えています。

また、ギャンブルにおいての流れを読むことをいかに大切なことなのかも示しております。

その波を読むには、今までの経験から培われた「形の記憶」をたどることが重要だと言われます。

その感覚により生み出されたものを、いかにギャンブルで勝利を収めることができるのかが大切だと言います。

そしてもう一つの名言は「どこかで、躓(つまず)く。そして、いったん躓くと、もう制御が利かなくなって、そのまま一直線に落ちた。いつもそうである。」

これは「ばくち打ち」という本で、森巣博が言い残した言葉です。

1つ間違いを犯してしまうと、その間違いを取り戻そうとした結果、その理論が崩れ落ちて最終的に負けに繋がってしまうという意味が込められています。

ギャンブルにおいてどんなに些細な間違いでも、後でそれが負けの螺旋階段に陥ってしまうという厳しめのメッセージが書き残されています。

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